ここはかくれが、ふたりきり。

わたしがいて、あなたがいる。あなたがいて、わたしがいる。どちらが先かに意味はなく、このひとときに、ひとりになれる。

地に臥せ、宇宙を仰ぎ、馳せる想いは道を逝く 〜ソロキャンプ道 其の零〜

 冷静で、物事に動じず、常に客観的視点から物事を俯瞰できる。それが私という人間だと思っていた。そう、今までは。

 

 だが違っていた。本当の私は、『他人からどう見られているか』という恐怖をある程度無視することで正体を表した。

 

 興味のあることにはとことん熱が入り、こだわりが強く、移り気で、考えるより先に行動したくてたまらず、人生の展望などどうでもよい。

 

 そんな人間だった。

 

 そんな人間がなぜソロキャンプというところまでたどり着いたのか、そしてこれから何をしようとしているのか。これから始まるこの「ソロキャンプ道」で、皆さんと一緒に追っていくことができたらと思う。

 

 

 私のこのブログのスタンスをざっくり伝えると、いくら不特定多数がアクセスできるブログであろうとも、記事を読んでいる間は、あなたは私の心の奥底へと続く階段を降りているのであり、私が彷徨っている様を楽しんでもらいたい、というものである。

 

 感覚的に過ぎる文章をよく書くクセがあるが、ある程度読み飛ばしてもらっても問題はない。

 

 

 

 さて、ここに偉大なる一歩を踏み出したのだ。私という人間は、片手間で御すには、些か以上に持て余す。引きずり回される覚悟はいいか?

 

 

 

 

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~ソロキャンプ道 其の零~

なぜ私はソロキャンプに行きたいのか

  人間には誰しも動機がある。行動の正負は問わず。なにか心身を内側から突き動かすような激しい情動があふれるからこそ、人は動くのである。

 

◯キャンプに目覚めたきっかけ◯

 もともと、自然は好きだった。母方の祖父母の家はいわゆる田舎で、街灯もほとんどなく夜になれば空には満点の星が瞬き、虫の声が響き渡る。そんな場所だった。

 そういった環境が下地にあったからかは分からないが、私は俗物的なものよりも観念的なものに対する親和性が高い人間に育っていた。

 

 大学を卒業して、一般企業に就職して、とこの辺りの事情は過去の記事を参照してもらうことにして、今の仕事では研修として2泊3日の野外活動がある。その内容はさておき、薪を使ってマッチで火起こしをするというかなりのオールドスタイルな研修で、経験した多く人間が「しんどかった」と評価するものである。

    さて、私がその研修を受けた頃、まだ私は新しい環境に対する順応性が低い人間であった。有り体に言えば人見知りが激しかった訳だ。まあそれは置いておいて、その研修を企画・運営している団体があるのだが、私もそこに参加するよう職場から命じられたのである。

    その団体のメンバーの中で(後に私は「兄貴」と慕うのだが)、とてもキャンプが好きな人がいた。直接的にキャンプの楽しみを植え付けられたとかキャンプに引っ張り出されたとかいう訳ではなく、この団体は何か打ち合わせが一つある度に終わってから飲みに行くような集団だったのだが、その飲み会の場で、私が今までに隠してきた(あるいは、表に出すことを恐れていた)、私が主観的に思う「本当の自分」というものを、徐々に、まったく不快な感じを持たせずに、暴いてくれたのである。

 

 そう。

 

興味のあることにはとことん熱が入り、こだわりが強く、移り気で、

考えるより先に行動したくてたまらず、人生の展望などどうでもよい」

 

 そんな人間である。そうと分かってしまってからは、自分が自分でないような錯覚さえ覚えた。これまで恋愛に縁のなかった私が女性にアプローチしたり(2ヶ月しか続かなかったが、十数年ぶりに彼女ができた)、自分からしたいことを友達や仲間に提案したりと、啐啄同時、という言葉があるが、まるで雛鳥が殻の外からつつかれるのを待っていたかの如く、私の中に情動が溢れ、迸る!

 私はその情動に突き動かされるままに従った。

 

 楽しい……。

 

 楽しくて仕方がない……!

 

 人生とは、これほどまでに素晴らしいものだったのだ!

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 

 しかし、好調な時ほど、足元が見えなくなり、谷へ滑り落ちるものである。

 

 私も、例外ではなかった。

 

 

 次回へ続く。