ここはかくれが、ふたりきり。

わたしがいて、あなたがいる。あなたがいて、わたしがいる。どちらが先かに意味はなく、このひとときに、ひとりになれる。

雑記

防災士という資格を取得した話

防災士キャンパー、ここに誕生。

『(前略) 我々はどこへ行くのか』:―然らば死なないことは生きないこと― Part3

「死」があるからこそ、人は人生に意味を見出そうとするのだろうか。倦まず、弛まず、いつか足を止めるその日まで、人は「死」によって生かされ続けるのだろうか。

『(前略) 我々はどこへ行くのか』:―だが、死ぬことは生きることではない― Part2

「乗り越える」のではなく、「飼い慣らす」のだ。どうしたって避け得ぬのならば、これを有為に活用しなければもったいない。私なりの「死との向き合い方」。

『(前略) 我々はどこへ行くのか』:―生きることは死ぬこと― Part1

人生とは死に至る病である。どれだけ厚く手を施したところで誰もが避け得ぬことで、例外はない。一連のエントリーは、私の「死」に対する恐怖を飼い慣らすためのものである。

社交ダンスにたとえてみたり。

社交ダンスは男女ペアが基本で、同性ペアはどうしていないのだろう。日本という舞台で踊られる社交ダンスについて少し考えてみる。Shall we dance?

後遺症的虚無感と、性欲のお話。 ―二元論的帰結への拒絶―

愛はお金で買うことができ、そして世の中のありとあらゆるものはお金で買うことができる。――しかしそれは物質文化に限った話であることは留意しなければならないことである。 人間の精神的紐帯――絆だとか友情だとか、信頼だとか――は、いくら札束を積んだとこ…

後遺症的虚無感と、性欲のお話。 ―構造的前段階之弐―

2/28。この日に訪れたのは、Bettyともう一軒、エンジェルパラダイスだ。実はこのお店、Bettyと同じビルに入っており、ボーイさんに見送られながらBettyを後にし、エレベーターに乗ってすぐ、一つ下の階にある。Bettyより奥まった場所に店舗があり、時計を確…

後遺症的虚無感と、性欲のお話。 ―構造的前段階之壱―

この程、北海道旅行を敢行していた。ブラック企業に持って行かれた私の人生の貴重な時間を取り戻し、これからの生活に弾みをつけるための、いわば「センチメンタル・ジャーニー」である。この旅行で何を得ようと得まいとも、この旅行だけは執り行わなければ…

異物は心のなかに

安さに対するリスクに目をつぶりながら潔癖ともいえるサービスを求める心情は、いかんともしがたいものがある。 「なにゆえそれは安いのか」。そのことを能動的に考えなければならない時代がやってきている。あなたにもあるはずだ、内なる天秤が。

性別:「男・  ・女」という選択肢

二極化する性別。この極同士の対立には緩衝地帯はあれど着地地点などない。なぜなら議論を超えたレベルで「二つ」に分かたれてしまっているからである。 性欲という身近な目線から考える「超性別」への足掛かり。

釣り合わない天秤

「あったら便利」がもたらした「あって当たり前」への意識転換。「不便」はそれほどまでにいけないことなのか、サービス業における非価格競争の一端である「接客」を通して、見ていくことにする。