ここはかくれが、ふたりきり。

わたしがいて、あなたがいる。あなたがいて、わたしがいる。どちらが先かに意味はなく、このひとときに、ひとりになれる。

「下手の考え休むに似たり」―追憶:8/23―

「人生一度、不倫をしましょう」という謳い文句を掲げる某SNSクラッキングによって会員情報を盗み取られ、情報を人質(こういう場合、どう表現すればいいのだろうか。情報質? 物質? 抵当とか担保って、悪い意味合いでは使えないような気がするのは私だけだろうか)にサービスの停止を迫られた。結局、情報は流出、未だに事件は収束していないようだが、女性会員の大半が運営によるアカウントであることが判明するなど、随分な痛手を被ったものだ。

 このSNSについて、一つだけ同意できることがある。「不倫をしましょう」ではなく、「人生一度」という点だ。私達は一度しか人生を生きることができない。今世紀中に不老不死の方法が開発されそうな気配はなく、我々はいずれ運命として死んでいく。私達が生まれたのは単なる偶然である。たまたま祖先がその地に入植(あるいは移住)して、たまたま子供をつくり、その子供がたまたま子供をつくり、そんな「たまたま」が何度も重なって、私達は現代に生きている。どこかでほんの少しのボタンの掛け違いが起きていたら、私達は今この場で、この感覚を抱くことはなかったのである。

 しかしながら、そんな「たまたま」は必ず「絶対」に収束していく。たとえどんな億万長者だろうとそれは買えず、どんな権力者でも覆せず、どんな聖者にも訪れる。そう考えると、どうして私達はこの世に生を受けたのか、ということが疑問として挙がってくるのはそう不思議なことではないだろう。

 私は中学生の頃、「死んだらどうなるのか」と考えて夜も眠れないことがあった。「死ぬ」ということはどういうことなのか。感覚が無くなる? 何も考えられなくなる? 誰にも会えなくなる? 違う、言葉なんかでは言い表せない「何か」が、私の中を這いずり回っていた。そして泣いた。今でこそ泣くことはなくなったが、寝る前に「人は死んだら……」ということをふと思うことがある。

 

 さて、前置きが長くなってしまった。実際この前置き、読んでいる方はどう感じているのだろうか。私としてはある程度、これから書いていく内容に全部が全部という訳ではないがリンクしていると思って書いているが……。かなり抽象度を上げているつもりなので、もしかするとナンノコッチャさっぱりぽっきりチンプンカンプンかもしれない。まあ、その、なんだ。そういうものだということで、ひとつ。

 

 車中泊での感覚がまだ抜けていないのか、その日、6時半には目が覚めた。不慣れな大阪の道を見づらくて仕方ないスマホストリートビューで再確認しながらレンタカーの営業所が開くのを待つ。駐車場を出庫したのが7時半、ガソリンを入れて、泥はねがあったので洗車をしていこうと思っていたのだがそのガソリンスタンドでは洗車は9時からだったので、まあ、仕方ないねということでそのまま営業所へ車を持っていって、何事も無く車を返し、延滞金を払って返却が完了した。

 お土産やらその他諸々が入った袋を持って、ヨドバシ近くのファーストキッチンで朝食を買う。そこにプラスしてコカ・コーラという何ともジャンキーな朝食を選択したことに後になって気づいたが、まあ腹は減っているので、完食しても胃がもたれることはなかった。それからテレビを見ながら、お土産で体積が増えた荷物をいかにして出発した時と同じようにスーツケースに収めるかに腐心し、宿泊した大阪駅近くのホテルは土日祝日は延長料金なしでチェックアウト時間が午後1時まで延長できたのでありがたく時間いっぱいまで過ごして、特急に乗り込んだ。

 

 車窓の外を流れる風景を眺めている姿は、傍目からすれば終わってしまった旅路へと想いを馳せているかのように映るかもしれない。

 

 (唐揚げ弁当まっず。白米が最低。こんなまずい白米初めて食べた)

 

 なんて、実際のところはこんな益体もないことを考えていたりするのだから、不思議なものである。口内炎がちょうど痛みのピークだったので、すでに終わってしまったことを振り返っている余裕などなかったのだ。

 大阪からならば3時間ほどで列車は地元に到着する。バスの時間が合わなかったので途中のバス停までしか行くことができず、そこから自宅までは徒歩だった。歩きスマホをする趣味はないので帰り道の最中、疲れで空っぽになった頭にこれからのことが行き来する。ゴロゴロとスーツケースを引きずる音が点滅するように聞こえていた。自分は何がしたくて、何ができるのか。想いはある。しかし、現実はそう上手くは行きっこない。そうやって悩めるのも今の内だと友人にしたり顔で説教を垂れたが、当の本人が悩んでいるのだから、世話はない。

 

 

  時々、もっと馬鹿だったなら人生は楽しかっただろうな、と思うことがある。もちろんバカを馬鹿にするつもりはなく――いわゆる学歴の低い人間であっても、バリバリ仕事ができる人もいるし、私の心にグサリと残ることを教えてくる人もいたりと、お勉強ができるかできないかは二の次なのだと、短い間であったが、私は強く感じた――、あくまで自嘲的な意味合いとしての馬鹿、ということであるが、いったいどこでどうなってしまったのか、私は「なんで?」「どういうこと?」ということを頻繁に問いかけるようになっていた。「人を好きになるってどういうこと?」「なんでルールを守らない人間がデカい顔をしているの?」「なんで仕事をしていることが当たり前なの?」「妥協して仕事を選ぶことが、そんなに偉いの?」「生活のための仕事が仕事のための生活になるなんて、おかしくない?」「ねえなんで?」「ねえ?」「どうして?」

 言い換えれば、自分の中で一度じっくり考えてみて、それから結論を出したいという性分なのかもしれない。だから私は、「なんで?」「どうして?」の答えを、他人に求めたことはない。他人には他人が生きてきた人生があり、その人生が他人を形作っているのだから、私が抱いた悩みに対しては、その人なりのアプローチが存在するからである。私が抱いた疑問は、私によってのみ解決されなければ意味がないのだ。私の人生を他人が生きてくれるのならばいざ知らず、私は私しか生きていくことはできない。そうであれば、私が抱いた疑問は、他の誰でもない、私が解決するしかない。

 馬鹿であれば――、と望んだのは、この部分に関してである。こんな疑問を抱くことがなければ、私はもっと、何に悩んでいるのかについて悩むなどということもなく、人生を歩んでいただろうに。「人を好きになることは自然なこと」で、「ルールを守っているからといってデカい顔をしていい訳ではなく」、「オゼゼを稼がないと生きていけないから」であり、「好きなこと・やりたいことを仕事にできるだけの力量は誰にでもある訳ではなく」、「労働力を切り売りする以上、どうしたって避け得ないことなのだ」と、そう納得して飲み込んで、私は生きていけたはずなのだ。

 

「こんな私に、誰がした?」

 

 そう問いかけて、私は無限地獄をのたうち回る。

 

 

 何やら自虐風自慢のようになってまとまりがなくなってしまった。とまあこんな私だが、目下の悩みは「私は何をして生きていきたいのか?」ということである。教師になりたかったはずだ、いやいや、作家にだってなりたいと言っていたじゃないか。でも結局、卒業して一般企業に入社したじゃないか。だけど一年ほどで辞めたよ? うん、で、大学職員になるために勉強して、試験に落ちて、今度は実習に行くみたいだけど、安息の地でいつまでもウダウダやってたって何も変わらないってことくらい、自分が一番分かってる。分かってるけど、疑問に答えが出ないまま、私は歩くことを続けられないのだ。

 

 馬鹿であればと言ったが、私は既に馬鹿なのだろう。

 

 

 

 

 ホントは「私がこの旅行でこれだけの下調べをした理由は私が死を恐れているからなのではないか」ということを書こうとしていたのだが、気がつけばこんなところに着地してしまっている。何のための前置きか分からなくなってしまったが、まあ、これで金を取っている訳でもないのだから、筆の赴くままに書き散らすことで発散できる何かがあったと思うことにして、今回の旅行記を〆ようと思う。旅行記の部分が刺し身のツマほどにもなっていないがまあ、ご愛嬌ということで。

 

  それではさようなら。長々とお付き合いくださってありがとう。