ここはかくれが、ふたりきり。

わたしがいて、あなたがいる。あなたがいて、わたしがいる。どちらが先かに意味はなく、このひとときに、ひとりになれる。

ここは高知でとなりは君で、旅路の空はかくも語りき。―行程ノ三:8/20―

 何故旅行が楽しいのか、ということについて、私は、「帰る場所があるから」だと考えている。私達は普段、特定の場所に暮らしていて、生活の拠点であるそこからは人事異動や海外赴任、単身赴任といった格別の理由がない限り動くことはない。そして旅行とは言うまでもなく、生活の拠点を離れて「ひととき」をホテルや旅館、あるいはキャンプ場など、どこか「いつもと違う場所」で過ごすことを指す。したがって、旅行というものは、その基盤に「普段生活している場所」というものを有してしまっているのだ。鎖で繋がれた犬が同心円状にしか動くことが出来ないのと同じように、我々を縛る鎖は見えない上にどこまでも伸縮するが、結局のところ、それに繋がる杭は「ある一箇所」にしか刺さっていないのである。よく人は鳥の自由さを羨むが、余所余所しさを感じずに身を委ねることも出来ない生き方に身を投じなければならないことからさえも、逃避してしまっているのだろう。

 

 この旅行において、私がどうしても何としても行きたかった場所がある。それは四国カルストだ。とりあえずルートはこちら。地図の到達地点にあるのがそれで、標高はおよそ1,430m。ここでどうしても、星空を眺めたかった。他の何を差し置いても構わないし、なんだったらここで星を眺められたら帰ってしまってさえも構わないほどに、私は四国カルストでの夜景を熱望し渇望し切望していた。ただ、そうは言っても夜景は夜にならなければ見ることはできない。ということでドキがムネムネの状態でこの日はスタートした。

 種崎千松公園を出てコンビニで朝食を軽く済ませ、桂浜は大混雑だったので華麗にスルーして、土佐湾沿岸の黒潮ラインを快適に走っていく。空は雲一つない快晴で、清々しいという言葉がよく似合っていた。この分なら夜も心配はなかろうと、心が弾んで仕方がない。仁淀川の河口を過ぎ、宇佐大橋を渡ってしばらく山道を走っていくと、明徳義塾高校の前を通過した。まあ通過しただけ。特に何もしていない。それを過ぎると武市半平太先生像のお目見えである。パシャパシャと適当に写真を撮って、お別れ。

 時刻はAM10:30頃。そろそろお昼ごはんが見えてくる頃合いだが、この日のお昼だけは何を食べるかあらかじめ決めてあった。その名も「鍋焼きラーメン」。須崎(すさき。濁らない)市の名物料理で、「プロジェクトX」なる鍋焼きラーメンの組合(鍋焼きラーメンの定義を知りたい方はこちらまで)まであるほどに有名なのだ。が、人生楽ありゃ苦もあるさ、そうは問屋がノットダウン、女心と秋の空、目指していたお店「橋本食堂」が定休日だった!

 

なんじゃあそりゃあ!

 

 かきいれ時だよ?! 日曜日のお昼!! ねえなんで? なんで営業してないの?! ねえ!! と詰め寄ってみたところでお店のシャッターが開くわけもなく、すぐ近くにあった「まゆみの店」に舵を切った。

 

が! 駄目!

 

 同じ思考回路を持った人間がよくもまあ揃いも揃ったり、店の横に回り込むほどに行列をなしていやがった。しかも駐車場見当たらねえし。あーもう止めだ止めだ、違う店行くべ。そんでもって行ったのが「どんじゃか須崎店」。焼き肉やら和食やらも置いているレストラン的なお店で鍋焼きラーメン専門店ではなかった。ちょっと肩を落としながら待っていた鍋焼きラーメンは、しかし旨かった。醤油ベースのスープは味がしっかりしていてパンチがあり、麺は極細だけれどもしっかりとコシがあって小麦の香りがする。具は生卵にネギ、ちくわと鶏肉のみというシンプルなもの。いやはや、ここでこれだけ美味しいのだから、専門店のはさぞ極上なのだろうと、却って期待が膨らむひと鍋でございました。ごちそうさま。

 

 お昼を過ぎれば否応なく胸は高鳴る。須崎市から四万十町へ、谷干城の誕生地碑を見に行き、また須崎市に引き返す。それから虚空蔵山観光農園フルーツランドで梨狩りをした。辛うじて車が一台通れるかという細い道を、ひたすら看板のお導きに従って登っていく。対向車が来なかったのが不思議なくらいである。梨の品種はうろ覚えだが新高(赤い袋が掛けられていて、形が不揃いで出荷には向かないがとても甘くて美味しい)と豊水だったか新星(白い袋が掛けられていて、よくスーパーとかで見かけるあのフォルムをしている)があり、ほとんどここだけで消費されるという新高を貪るように3個食べた。友人は5個食べた。そして揃って下痢をした。むべなるかな。

 

f:id:kr-325:20150928220828j:plain

(虚空蔵山観光農園フルーツランドから斗賀野方面を望む)

 

 再び細い道を下り、佐川町で風呂に入る。町営の町民プールに付帯する施設だったので簡素で、シャンプーやボディソープの泡立ちが非常に悪かったのを覚えている。そこを出たのが確か夕方の6時近く。そこから国道33号線を大渡ダムの方面に向かってひたすら進んでいく。片側完全一車線で走りやすい道だった。柳谷大橋交差点で右折、国道440号線へと進路を変える。久万高原町西谷の辺りまでは走りやすいのだが、私が四国カルストへの最難関と考えていたのが、何を隠そう、県道303号線である。

 現在、四国カルストへのルートとしてよく挙げられている県道48号線が台風の影響により通行止めとなってしまっている。国道440号線から地芳(ちほう)峠の四国カルスト高原縦断線に入るのが一つの手ではあるのだが、国道440号線から地芳峠へと抜けるまでの道が細く、各所に散見されるルートだったため、対向車を恐れて私は県道303号線から林道小田池川線のルートを選択したのだ。ここまでが前提。

 このルートを選択したのはいいが、ストリートビューで確認してみると、県道303号線も負けず劣らず狭い。夜間の走行が幸いしたのか、対向車に出くわすことはなかったが、一車線の部分で対向車にかち合った時はもうどちらかが下がるしか道はない。しかし県道であるためか徐々に道路状況は改善されてきている。まあ実感としては、国道440号線-地芳峠間と県道303号線-林道小田池川線間のどちらも、隘路で対向車が来ればオーマイブッダなことに変わりはなかった。林道小田池川線は片側完全一車線なので、とても走りやすい。

 

 ナビに記されていない道を駆け上ること数十分。さあやってまいりました天狗高原! 天狗荘前の道路に合流さえしてしまえば、あとはもう一本道である。満天の星空が俺を待っているという自惚れに反応したのか、何やら目の前が霞んで来た。気が緩んで疲れが出てきたのかなと瞬きをして目を軽く押さえてみるが、白い靄は消えない。「うわ、ガスってるじゃん」と、そう気づくのに時間は掛からなかった。私のテンションがその瞬間に地を這ったことは、容易に推察していただけるかと思う。

 しかしまあ、ここまで無事に来られたのだ。危惧していた法面からの滑落もなく、一台の対向車にも出会うことなく、この足で四国カルストに降り立てるのだから、それで良しとしようじゃないかと、悪くなってきた腹具合に気づかないフリをしながら、牧場の駐車場に車を停めた。本日の寝床である。

 四国カルストにある姫鶴荘(めづると読む)、そこのトイレに下痢便という思い出を刻みこみ、あとは寝るだけ。空には雲も掛かりガスが視界を遮ったり晴れたりを繰り返している。まあこればっかりは、どうしようもないからね。腹の底からそう納得して、寝床を設営、さて、おやすみ。

 

うわぁっ!

 

  蛾ッ! 蛾だ! レディー……じゃない蛾が俺の耳にッ! 野郎ぶっ殺してやる! お前なんて怖かねえ! 上等だコラァ! 表出ろや!

 

f:id:kr-325:20150928224757j:plain

 (姫鶴平の牧場駐車場から、天狗荘方面)

 

 

うおォん

 

  蛾様!(熱い手のひら返し) なんと這い出した車の外には、これを奇跡と呼ばずして何と言う、雲は消えガスも晴れ星が瞬いているではないか! 光害があったのはちと残念だが、これ以上を望むのは欲張りというものだろう。そうだ、俺はこれを見に来たんだよ。絶望的だと思っていた中でのこの登場の仕方に、ここ数年で一番、自然とハイテンションになっていた。鬱陶しかったろうなあ、すまん友よ。あの時の感動を表現する言葉を今の俺は持っていない。言ってはいけないことかもしれないが、直に見た者にしか分からない感動があった。さすがに泣く程ではなかったが、何か超越した物の存在に頭を垂れずにはいられなかった。神の御前に跪く人間の気持ちが、この時ばかりは理解できたような気がした。

 

 そしてほんの十分もしない内に、再び雲は掛かりガスが視界を覆った。あの蛾は本当に存在していたのだろうか、そんなことさえ思ってしまうほどに、この出来事は奇跡と言うほかなかった。これで思い残すことはない。随分と長くなってしまったが、それだけ書きたいことのあった一日だということで、おやすみなさい。

 

 

 川を下るんだよォオオオオオオオ! な4日目を夢見て。