ここはかくれが、ふたりきり。

わたしがいて、あなたがいる。あなたがいて、わたしがいる。どちらが先かに意味はなく、このひとときに、ひとりになれる。

ここは高知でとなりは君で、旅路の空はかくも語りき。―行程ノ二:8/19―

「日本の夜明け」と聞いた時に一日の始まりだと捉える人はそう多くないと思うが、広義的に考えてみればまあそのように捉えることもおかしいとは言えないのである。夜が明ければ必ず夜更けが訪れる。幕末のあの頃、日本に太陽を昇らせた人々は今の日本を見たとき、果たして太陽をどこに見るのだろうか。

 史跡を訪ねる度に思うことがある。社会科の教科書に書かれているような人間が、本当にこの場所で、書かれているような活動をしていたのか、と。彼らは文字の中にしか存在しておらず、触れられる訳でも、会話ができる訳でもない。そのような彼らのことをどうして私達は信じることができるのだろうと、不思議で仕方ないのだ。この場所が、彼らが生きていた当時と同じ場所であるということが、どうしても納得出来ないのである。地続きのものを感じられない、とでも言うのだろうか、いわゆる「歴史の流れ」というものから、今、私が生きている「現代」というものが、ざっくりと切り離されているとしか思えないのだ。

 

 さて、夜が明けた。駐車場からほんの道を挟んですぐのところに中岡慎太郎像があるのだが、そこは道路に比べると少し高くなっていて、僅かばかりではあるが写真を取るのに適している。その像の後ろには更に展望台があったのだが、鬱蒼と木々が生い茂っており、まだ完全に朝日の届いていないそこに足を踏み入れる勇気は、その時の私にはなかった。とまあ、行けないところに無理をしてアタックを試みる時間があるのならばその分シャッターを切ったほうがいいと判断し、中岡慎太郎像の前に三脚を構えようとしたその瞬間、少しばかり開けている目の前の空間からまさにドンピシャリジャストタイミングで朝日が昇ってきた。なんということか。私はファインダーを覗いた。

 

 まだまだ日差しはか弱いのでピントを合わせてから手当たり次第にシャッターを切りまくってやまなかったのだが、これまた拙さ丸出しの写真が大量にSDカードの容量をいたずらに圧迫するだけとなった。コイツ(D3100)を連れ回し始めてもう数年は経過しているはずなのだが、悲しいかな技術は修得しようと思わなければ身にはつかないものなのである。

 

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(中岡慎太郎像の前から)

 

 まあ無い物ねだりをしたところでどうしようもないので、写真もそこそこに、朝日に向かって手を合わせてこの旅行の無事を祈って心を落ち着かせた。話は逸れるが、一年ほど前くらいから、氏神様の神社に手を合わせに行くことが増えた。特段叶えてもらいたい願いを胸に秘めている訳ではないのだが、不思議と、胸中の思いを無言で吐き出すことで妙にすっきりする。あそこで手を合わせて目を閉じている時間は、私の中では「独り言」とは峻別されている。誰も居ないはずのあの場所に何かを感じてしまうだけの精神性が備わったのかそうでないのかは分からない。ただひとつ確かなのは、何もない平時にこそ、足を運ぶべきだと考えている自分がいる、ということだけである。

 

 閑話休題。こんなもんでよろしかろうと、三脚を抱えて車に戻る。友人は起きてきそうにもなかったので、私も寝ることにした。何だかんだ言ってまだ6時にもなっていない。今から寝ればそれなりの休息にはなるはずだ。車内に潜り込んで車の鍵を閉め、身体を横たえた。

 

熱いッ!

 

  2時間ほどで体中から汗が吹き出し、寝られなくなった。隣で寝ている友人も苦悶の表情を浮かべている。ボディカラーが黒なことも関係しているのか、野郎二人を内包する、密閉された車内はとてもじゃないが寝られるような環境ではなかった。堪らず開錠してドアを開けると、まだ日差しに熱されていない涼やかな朝の風が入り込んできた。「もぅマヂ無理。。。歯磨きしょ」と、買っておいた水でぐわらぐわらやっていると、のそのそと友人が起き出してきた。相変わらず寝起きが悪そうだ。

 

 ややあって、起動した友人と先ほどの展望台にのぼり、目の前に広がる太平洋に高知へ来たという実感を抱き、恋人の聖地に汚された悲しみをカメラに収めた。駐車場の目の前にある喫茶店で朝食を取り、いよいよ2日目の始動である。ルートはこちら

 まずは室戸スカイラインを少し上って、灯台を拝みに行く。なるほどこれが日本一のレンズかと一人納得していたのだが、ここもまた恋人の聖地とやらに汚染されていた。お前らの聖地はいったいどれだけあるんだ。一生巡礼してろ。そんな呪詛を振りまきながら車に戻り、そこから更に上って展望台のある場所へと向 かった。駐車場に車を停めると人に慣れた野良猫がわんさといた。「可愛いでちゅね~」と鼻の下を伸ばす私を猫嫌いな友人は冷ややかな目で見ながら写真に収め、展望台へと足を向けた。

 

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(室戸スカイラインの展望台から足摺方面を望む)

 

 なんともまあ、絶景である。海は青く空は碧く、遥か彼方まで水平線は広がっている。日差しは徐々に強さを増し始めているが、吹き付ける風がまだそれに抗えるだけの涼やかさを持っていた。青さに霞む向こうには最終的な到達地点である足摺岬があるらしい(写真中段左付近)のだが、にわかには信じられなかった。

 

 そんなこんなで車に戻り、室戸スカイラインを下りて中岡慎太郎館へ行き、安芸にある岩崎弥太郎の生家に友人だけ向かい(私は車内で待機。興味がなかった)、それから一路、高知市内を目指して車は走っていった。

 助手席で寝ていたので道中に何かめぼしい物があったのかは分からないが、県庁の駐車場に車を停め、ひろめ市場でかなり遅めの昼食を取り(友人はかつおのたたき丼、私は唐揚げとチャーハン)、岡田以蔵の墓を目指して歩くこととなった。色々と割愛して、車に戻ってスーパー銭湯で汗と疲れを流し、空腹を抱えながら本日の逗留場所である種崎千松公園に向かっていった。夕食は近くの「豚野郎」というラーメン屋さん。

 もうここまで来ればあとは寝るだけである。ウダウダとくっちゃべっていると何とその駐車場にポリさんがやってきた! 何故か友人は狼狽していたが、別に悪いことをしている訳でもないのだからと、構わずトイレに行き、寝ることになった。

 

寒いッ!

 

  今度は寒さで目が覚めた。持参していたブランケットをひっかぶって最大限丸くなり、またすぐに眠りの淵から滑り落ちていったことを覚えている。この日の反省を活かして寒さ対策のためにあるものを買ったのだが、それはまた後のお楽しみに。

 

 

 この旅行における最大の山場だと個人的に思っていた3日目に続く。