ここはかくれが、ふたりきり。

わたしがいて、あなたがいる。あなたがいて、わたしがいる。どちらが先かに意味はなく、このひとときに、ひとりになれる。

人生の縮図のようで。

今回の旅行(苦行と形容した方が相応しいかもしれない)では、三日ともパンクに見舞われた。

どうしてこういう結果になったのか。それを考えてみると、いくらか思い至った。



1、出発前に空気圧を確かめなかった。

   →前日にサイクルショップでブレーキの交換をしてもらったのだが、その時についでに空気も入れてもらっていたみたいで、入れなくてもいいだろうと。それが甘かった。



2、適正空気圧まで入れたタイヤの感触を覚えていなかった。

   →ミニフロアポンプで空気を入れた後、押してみてこれでいいだろうと思っていたのだが、それが甘かったようだ。帰ってからフロアポンプで適正まで入れてみたところ、尋常じゃないくらい(自分が出先で入れた時の感触と比べてみて)の硬さだった。



ざっと、こんな感じだろうか。

適切な空気圧の管理がパンクを減らす。いい勉強になった。

次に遠乗りをするときはもっと気をつけようと思う。





坂を登っている時や、強烈な向かい風の中を漕いでいると、ふとした瞬間にスイッチが切り替わったように苦痛が和らいだことがあった。

ランナーズハイよろしく、サイクリスツハイとで言ったところだろうか。まあそんな呼称はこの際どうでもいい。重要なのは、その最中に考えたことだ。



パンクした時、その原因を取り除かなくてはならないのだが、どれもこれも、1mmに満たないような金属片が刺さったことが原因だった。

下準備が出来ていなかったところに、本当に些細な障害が発生した。取るに足らない、何のこともない小さな障害。たったそれだけのことなのに、それが致命的な失態をもたらしてしまう。

そして、急勾配の上り坂。太腿が悲鳴を上げる、肺が痛い、終わりが見えない、挫けそうになる。強烈な向かい風もまた同じように、「どうしてこんな時に吹くんだよ」と、理不尽、憤懣、無力、焦燥。押し寄せるのはもう嫌だ、投げ出したいという負の感情。決して前向きになんてなれやしない。



それがどうにも、人生の縮図に見えた。

まだ二十年すら満足に生きられていない若造が何を抜かすかと思われるかもしれない。

だが、人生なんて畢竟、そんなものなのではないだろうか。嫌になって投げ出したくなることもあるだろう。この世界は、そうそう簡単に人間を甘やかしてはくれないのだから。

終わりの見えない長い道をひたすらに歩みながら、色々なことを背負って生きていかなければならない。人間関係、仕事、恋愛、食事、睡眠、勉強、遊び、それらはすべて与えられるままに与えられていても、ただ淀んで腐っていくしかない。

自分の力で切り開いていかなければ、物事は流れ始めないし変わりもしない。バイクで坂道を登っていくということも、それと同じではないだろうか。どれだけ苦しかろうと辛かろうと、漕がなければバイクは前に進まないのだ。



辛くて苦しいことを乗り越えた先には、平穏が待っている。バイクで言えば、下り坂だ。そしてその爽快さは、坂を登るまでの辛苦に比例する。高く険しい峠を越えたときほど、下りも爽快さを増す。

人生も、そうではないだろうか。先の見えない努力は果てしなく永遠に感じられる。しかしそれらが実を結んだ時、これまでの苦労は、無くてはならなかった、やらなければならなかった、そんな重要なものに姿を変える。何せそれらがなければこの結果は生まれないのだから。それらがあったからこそ結果という下り坂を得られたのだ。





長々と語ってきたが、ぬくぬくと生きながらえているだけでは得られない経験が出来た今回の旅行は、良い物だったと思う。

ただ、沸騰したお湯を放置しておけばまた水に戻るように、時間を置いてしまえば、せっかく得た想いも必ず日常に溶けていってしまう。

だから自分は、またいつか、バイクで旅に出るだろうと思う。理屈よりも、バイクに乗るのが楽しいのだ。もっともっと、知らない場所を自分の足で切り拓いていきたい。



そんな思いに突き動かされ、自分は、これからも漕ぎ続けるだろう。







2012/3/23

ドキッ! 〜パンクもあるよ〜 男一人、地獄の自転車旅行  完