ここはかくれが、ふたりきり。

わたしがいて、あなたがいる。あなたがいて、わたしがいる。どちらが先かに意味はなく、このひとときに、ひとりになれる。

地に臥せ、宇宙を仰ぎ、馳せる想いは道を逝く 〜ソロキャンプ道 其の零〜

 冷静で、物事に動じず、常に客観的視点から物事を俯瞰できる。それが私という人間だと思っていた。そう、今までは。

 

 だが違っていた。本当の私は、『他人からどう見られているか』という恐怖をある程度無視することで正体を表した。

 

 興味のあることにはとことん熱が入り、こだわりが強く、移り気で、考えるより先に行動したくてたまらず、人生の展望などどうでもよい。

 

 そんな人間だった。

 

 そんな人間がなぜソロキャンプというところまでたどり着いたのか、そしてこれから何をしようとしているのか。これから始まるこの「ソロキャンプ道」で、皆さんと一緒に追っていくことができたらと思う。

 

続きを読む

『(前略) 我々はどこへ行くのか』:―然らば死なないことは生きないこと― Part3

 虫の知らせ、というものを、かつて一度だけ経験したことがある。高校一年の頃、夏休みを利用した夏季補習後の部活動の最中、ふいに「じーちゃんのお見舞い、行かんなんなあ……」と、思ったのである。結局、何やかやで行かず仕舞いだったのだが、その三日後、祖父は亡くなった。朝早く、母親が慌ただしく部屋に入ってきてその事実を告げていった事を覚えている。その日も部活動だったのだが、欠席の連絡を入れて、徒歩圏内にある祖父母宅に向かった。

  仏間では、祖父が寝ていた。本当にただ寝ているようで、だけどその寝姿を取り囲む人の神妙な面持ちは、そこに横たわっているのは「死者」だということを物語っていた。高かった鼻には綿のようなものが詰められ、掛け布団は銀糸で模様を描いていた。「身体を拭いてあげてください」と、おそらく葬儀会社の人だっただろう、渡された脱脂綿を手に、私は固まってしまった。

『穢い』。薄ぼんやりと、そう思ったことを覚えている。汚物の方の「きたない」ではなく、ケガレの方の「きたない」。あの時の心の機微を何とか表現できないものかと考えたところ、この表現が浮かんできた。触れることを躊躇ってしまう何かが、横たわる祖父の亡骸から発せられていた。もちろん生前の祖父が嫌いだった訳でも、ましてや「死者」が汚らわしいと思っていた訳でもない。触れてしまうことで自分の中の何かが決定的に変わってしまいそうな、そんな気がしたのである。結局足先を軽く拭いて、脱脂綿を返した。

 祖父の死が受け入れられなかったのかと言われると、それもまた違う。或いは、怖かったのかもしれない。自分が普段過ごしている世界のものとはまるきり異質な「それ」の存在が、私にとって、禁忌のようなものだったのだろうか。

続きを読む

『(前略) 我々はどこへ行くのか』:―だが、死ぬことは生きることではない― Part2

 ある日の入浴中、それは襲ってきた。「人間は死ぬ」という、避けようのない現実が、発作的に。その恐怖に身体は重くなった。言いようのない感覚が私の中を這いずり回るという、久しく忘れていたあの症状である。しかも、より激烈になって。「どうして人は死ぬのか」という答えのない問いが、刃となって私を苛む。まるで汚泥でも飲み込んだかのように、生来的に受け付けないものを拒絶しようとする防衛的な反応が、却って身体に悲鳴を上げさせている、とでも表現すればよいだろうか、しかし、言葉にしてしまうとどこか嘘臭くなってしまう感じは否めない。誰に張った見栄なのか、頭から流れていくシャワーと涙を区別できるのは、私だけだった。

「こんなもの乗り越えられるかよ……」としばらく嗚咽にのたうちまわり、どうにか落ち着いたところで湯船に浸かる。疲れが落ちていく気持ちよさを味わえるはずの湯船は、しかし、私の心を無防備にするだけであった。浴室という密室のせいでもあるのか、恐怖が発散していかない。いつまで経ってもずっしりとした重さがみぞおちの辺りに居座っている。ただ涙だけは止まっていたので、とりあえず浴室を出ることにした。これほど気分の悪い風呂あがりは初めてだった。

続きを読む